Article #1 最後の一息
Article #2 もうひとつの大惨事
Article #3 聖母マリア
Article #4 集団ヒステリー
Article #5 フェリーボートの悲劇
Article #6 EDP[情緒障害者]
Article #7 グランドゼロをふり返って
Article #8-1 暗闇の中のEMS
part1
Article #8-2 暗闇の中のEMS
part2
Article #9 日本における
パブリックアクセス除細動
Article #10 医者の無養生
Article #11 本当の苦悩
Article #12 3人のヒーローの死
Article #13 父親として
Article #14 多数の負傷者
Article #15 安全タバコ
Article #16 予防可能な外傷死
Article #17 最終回によせて
Article #17
最終回によせて
Eradication
of
Preventable Trauma Death
はじめに、大切なことを伝えておきたい。私に FIRE RESCUE
EMS誌に記事を書くチャンスを与えてくれた(株)シグナルOSと、ここ数年間にわたりこの記事を通して私を仲間に加えてくれた日本の消防士、救急隊員、そして救急救命士の皆さんに感謝したい。これまでエッセイを書けたことは、私の今後の人生においても大切にしたい素晴らしい経験であった。
2001年9月11日、ワールドトレードセンターで起こった事件は今まで誰も見たことがないような規模のものだった。9.11は、事態がこれ以上は悪くならないと思った端から次々に悪化していく日であった。以前私が述べたことではあるが、死と隣り合わせになったあの朝、100階より高い場所から人々が飛び降りている姿を目にした。その光景が今でも悪夢に出てくる。飛び降りて死ぬことを選んだ人たちの気持ちは、私には想像を絶するものだった。そして、今後二度と人々がそのような決断をせずに済むことを祈るばかりである。
未だテロの脅威は存在している。脅威だけではない。実際のテロも起こっている。スペインの電車爆破テロ、ロンドンの地下鉄爆破テロ、そして世界中で数え切れない数のテロが発生している。残念ではあるが「次に被害者になるのは誰だ?」そして「テロの対策はできているのか?」というのがレスキュー隊一人ひとりが思っていることなのだ。
9.11以降多くの政治家や専門家などが、この事件、そして救助活動についてコメントした。そして、実際その場にいなかった人たちがFDNY(ニューヨーク市消防局)が犯したミスについて批評していたが、これには全くあきれてしまった。私は際限なく憤りを覚えた。しかしその一方で、全世界そして日本の多くの消防署も私たちをサポートしてくれた。心から感謝したい。
今後このような事件が生じた場合、私たちは何をすべきなのか考えるため、アメリカでは多くの委員会が形成された。「学ぶべき教訓」という言葉を人々は使った。だが私はこの言葉が好きではない。なぜなら、経験からポジティブなものを得るという意味だからだ。ワールドトレードセンターの悲劇のどこにもポジティブな要素はなかった。そこには、死と崩壊しかなかったのだ。だから私はその言葉の代わりに「PNT(Preparations
for Next Time)=次回のための準備」と呼びたい。残念だが同様のテロはいつかどこかで起こるだろう。
全米委員会での検証の後多くのことが推奨され、そのいくつかが実行されている。例えば9月11日に消防、警察、そして救急の無線通信は不可能であった。なぜなら無線システムがそれぞれ異なっていたからだ。現在も本格的な通信システムはないが、各職場の代表は他の部署の無線も持ち歩いている。これは最良の解決策ではないが暫定的には有効な対策である。現在共通無線システムの導入が検討されているが、思うほど簡単には変更できないものなのだ。別の変更点としては、このような大規模な事件が起こった場合は警察のヘリコプターに消防隊員を乗せることになった。9.11当日、航空ユニットを通じて警察には緊急避難命令が出ていたが、同様の情報が消防と救急には伝わっていなかったため、消防吏員343名が死亡するという悲劇につながったのだ。また、トレーニングを追加することでテロに対する認識と対処について深く理解するようになった。
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以上のような変化はあったが根本的な問題の一つにレスキュー隊員の態度の変化がある。つまり「レスキュー隊員が頑張りすぎて冷静さを失ってしまうこと」にあった。9.11以降に生じた災害において、この精神的な問題を打破することがいかに難しいかが明らかになったのだ。しかし、何度繰り返しても皆同じような行動をしてしまう。例えば、車両を事故現場から近すぎる場所に停めたり、互いの邪魔になるような車両の停め方をしたり、きちんと逃げ道を確保するのを忘れてしまう。そのため、訓練の数を増やしてこのような事態を変えようとした。その結果上手くいったかのように思えても、実際の現場では再び同様の問題が生じてしまう。
この「レスキュー隊員が頑張りすぎて冷静さを失ってしまうこと」は、私たちの仕事「他人の命を救う」ことの障害となる。しかし、私たちは気付かなくてはならない。私たちの命は要救助者の命と同じくらい大切なものであることを。私たちの命が無くなれば、これもまた多大な悲劇となるのである。私たちが死ねば私たち一人ひとりを愛してくれる人は悲しむだろう。私自身多くの葬儀に出席し、残された人たちが深く悲しんでいる姿を多く目の当たりにしてきた。私たちが任務中に命を落とせばヒーローになれるかもしれない。しかし、それは貴重な命を無駄にするということにもなるのだ。
9.11で多くの命が失われ、ワールドトレードセンターの崩壊が原因で病気になった隊員が多く退職したため、私たちはその人たちの代わりの隊員募集をはじめなくてはならなかった。当初消防局では多数の殉職者、退職者の穴埋めは無理ではないかという声があったが、それは間違いだった。9.11以降今までにないほど人命を助けたいという人が多くなっていたのだ。多くの人が先任者の跡を次いで献身的な仕事に就きたいと申し出てくれた。
この最後の記事を書きながら様々な感情が私の中で交錯した。限られた時間とスペース内で私が伝えたかったことは何なのか。私の考えや感情をどうまとめればよいのか。何が一番大切なのか。そして実際その答えは簡単だった。人命が一番大切だということだ。それが私たちが助けようとする一般市民の命であろうと、自分自身の命であろうと。