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被災現場の現実 東日本大震災レポート

被災現場の現実 東日本大震災発生から約2週間が経過した被災現場の状況をレポート

2011年3月11日に発生した東日本大震災。M9.0という日本国内観測史上最大の地震により建物倒壊といった直接的被害が発生したのに加え、沿岸部を巨大津波が襲い、さらには原子力発電所事故を誘発するという様に、複合的な要素で被害を拡大させた。

被災地へは全国から緊急消防援助隊が駆けつけ、発災直後より活動を行っている。
「現場の状況は、想像をはるかに超えていた──」
派遣された隊員は口々に言う。阪神・淡路大震災を契機に発足し、大規模震災などに対する備えとして高度な技術や装備を備えてきた消防だが、今回の震災ではこれらをフル活用することができなかった。被害の大きい沿岸部では、津波が倒壊家屋を、そしてそこにいたであろう要救助者をも流し去ってしまっているのだ。隊員らに求められるのは、残された瓦礫を一つずつ動かし行方不明者を探すという地道な人命検索活動。必要なのは高度な技術や資機材でなく、マンパワーだった。

心の準備もないまま想像を絶する状況の現場に入り、検索により次々と行方不明者を発見する。今回の活動では、帰還後に惨事ストレスの症状を見せる隊員も少なくないという。過酷な被災現場の状況。現在ではマスコミも原発事故に関する報道にシフトしてしまっている感もあるが、それ以前に、画像や映像で目に出来るのは現実の一部のみ。常識を超えた状況はメディアで伝えきることが出来ない。

隊員らが実際に活動を行った現場とはどのような状態なのだろうか?
現場の光景、空気、そしてにおい──。
発災から約2週間が経過した被災現場の状況を取材した。

写真左/見渡す限り瓦礫が散乱する、津波の直撃を受けた被災地。瓦礫のひとつひとつを動かし、丹念に検索活動を行う緊急消防援助隊・長野県隊。(宮城県名取市閖上地区)

写真中央/消防や警察、自衛隊が検索活動時に発見した貴重品、アルバムといった思い出の品。持ち主が回収しやすいようにしてある。(宮城県名取市閖上地区)

写真右/道路自体が被害を受けたり、瓦礫により通行できないといった場所も少なくない。また、瓦礫の山と化した被災地域では、火災防止のため「火気厳禁」の看板が掲出されている。(宮城県名取市閖上地区)


写真左上/東北自動車道を北上する緊急消防援助隊・兵庫県隊。
写真右上/緊急消防援助隊が野営を行う宮城県内の運動施設。消防学校などの活動拠点では室内での就寝が可能だったようだが、大多数の部隊がテントに寝泊りし、24時間体制の活動にあたった。
写真左下/無数に転がる車両の中で、フロント側を下にして直立する自動車。津波の被災地はこういった自らの目を疑う光景が広がる。手前の車両は消防団の積載車。車体にはホースが絡み付いている。(宮城県亘理郡亘理町)
写真右下/検索活動をを終え、次のエリアに転戦する緊急消防援助隊・愛知県隊。主要道路は初期の段階で道路啓開が行われており、車両通行路が確保されている。(宮城県亘理郡亘理町)

写真右/そこに町があったなど想像もできないほど、すべてが流し去られている。被災地に向かい移動していると、突如このような光景が目に飛び込んでくる。(宮城県亘理郡山元町)

写真左上/海から500メートルほどの位置にあるJR常磐線・新地駅。停車していた4両編成の普通列車が津波に襲われ、乗員乗客は避難して無事だったものの40t近い重量のある車両はホームから100メートルほど押し流された。(福島県相馬郡新地町・新地駅)

写真左中央/巨大防潮堤も約500メートルにわたって倒壊した。(岩手県下閉伊郡田老町)

写真左下/昭和三陸津波を教訓に整備された岩手県・田老町の巨大防潮堤。海寄りと内寄りの二重の構造をなしており、高さは約10メートル。総延長は約2.4キロあり、全国最大級の規模を誇っていた。今回の津波は二つの防潮堤を突破。写真左側の海寄りはもちろん写真右側の市街地側も壊滅。(岩手県下閉伊郡田老町)

写真左/瓦礫の山と化した風景の中で、日の丸の国旗がはためく。(岩手県下閉伊郡田老町)
写真右上/地震と津波により、消防機関も甚大なダメージを受けた。釜石大槌地区行政事務組合消防本部では津波により泥水や瓦礫が流入。さらに、消防車両も流された。(岩手県釜石市)
写真右下/人々の営みがあった気配すら感じさせない。道路啓開により瓦礫が排除された道路に対して路地や私有地などは依然瓦礫に埋め尽くされている。(宮城県気仙沼市)

写真右/陸に打ち上げられた巨大漁船。撤去することも出来ず、応急的に転倒防止用の支柱で支えられている。(宮城県気仙沼市)

写真左上/道路を進んでいくと重油混ざりの海水により街区が水没している。(宮城県気仙沼市)

写真左中央/沿岸部は震災直後の津波によりさらに街が破壊されたが、内陸寄りでは地震そのものによる被害の爪あとが痛々しく残されている。写真は郡山市内の座屈したビル。(福島県郡山市)

写真左下/地震により屋根瓦が崩れ落ちた民家。阪神・淡路大震災直後の街並みと同じく、家々の屋根がブルーシートで覆われた光景が広がっていた。(福島県伊達郡国見町)