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日本のレトロ消防車



誰でも小さい頃、けたたましいサイレンを鳴らして街を疾走して行く赤い消防車には、憧れや興味を持っていたと思います。
この動きの部分と、消防署のガレージにピカピカに磨き上げられて、常に整備されている消防車の静の部分。そして、真赤なボデーと、その機械的な装備の美しい魅力にひかれるものです。
普段は全く気づかずに通りすぎてしまい、ある日気がついた時には消えてしまった消防車達の一台一台が、とても素晴らしかった事が思い出されて、古き時代を感じさせてくれるような気がします。
現在の冷暖房付の消防車と比べると昔は屋根がなく、冬の寒い日や雨の日の帰署道は、さぞかし体の奥からブルブルと震えていた事と思います。また当時は、今のように安々と写真を撮れる程カメラも流通していなかった時代で、きれいに消防車両だけを撮影した写真は少なかったように思われます。また、これら古くなった消防車は使用年数を過ぎると廃車となり鉄クズとなる運命のため、日本でも消防博物館等、一部の場所しか現在は見る事が出来なくなったのが残念です。
欧米諸国では、消防を一つの文化と考えて消防車を始め文献・写真・装備品等を後世に伝える為に大事に保管・管理されているのでいつでも見学する事が出来ます。今回は昭和30年代の消防車両を中心にご紹介いたします。



この照明車は東京で2号車として製作されました。投光機も小さく、現在のように塔装置もなく簡単なものでありました。また、この車両は、呼吸器・ガス溶断機・ドリルやノコギリに三連はしご等、救助に必要な資器材を多数積載していました。
(いすゞ照明車/東京消防庁)

給油所や危険物倉庫が増加し、これに伴う特殊火災に対応するため製作されました。補助エンジンによって駆動する加圧ポンプとして3段タービンポンプを搭載し噴霧放水が可能でした。
(いすゞ高圧化学車/東京消防庁)

当時は今のような救命士制度もなく、患者を収容して病院に運ぶという事が、救急業務でした。予算も少なくポンプ車を改造した救急車も多く見られました。
(ニッサン救急車/名古屋市消防局)


戦後も各地で外国車の消防車が輸入されました。これはベンツの30メートル級梯子車で現在も名古屋市消防学校で保存されています。
(メルセデスベンツ梯子車/名古屋市消防局)

長時間に渡る災害活動に、近隣町会のボランティア活動による握り飯の差し入れがありましたが、この種のボランティア活動が行われなくなったことにより、補給車とし製作され、現場で缶詰食品や暖かい飲み物を提供しました。
(いすゞ補給車/東京消防庁)

大都市で30メートル級が中心だった梯子車でしたが、地方都市にも少しずつ当時この梯子車が配備されていました。この梯子車は18メートル級です。
(トヨタ梯子車/甲府市消防本部)


東京でも中心街は30メートル級の新型梯子車が活躍していましたが、下町などでは、このような18メートル級の小型梯子車が見られました。
(日野梯子車/東京消防庁)

18メートル級の梯子車です。当時の消防車は屋根なし、現在のように冷暖房などは夢の話でした。寒い冬などは隊員の体は芯から冷えた事だと思います。
(ふそう梯子車/名古屋市消防局)

このドイツ製の30メートル級梯子車も東京では数多くのビル火災に出場して多くの市民を救助しました。当時は色々な雑誌や絵本等で紹介されて話題となりました。
(メルセデスベンツ梯子車/東京消防庁)


トラックのシャーシを使用していた当時の救急車は振動もひどく患者に与える影響は現在と比べると非常に大きかったと思われます。
(ニッサン救急車/東京消防庁)

現在の救助資器材を満載した車両とは違って限られた数少ない資材で、あらゆる災害で活躍しました。当時は救助隊の旗がとても印象的でした。
(いすゞ救助車/東京消防庁)
軽便で、操作員が少なくすみ、価格面でも通常ポンプ車より安かったことから、昭和初期に至ってオートバイの発達とともに急速に地方都市に普及しました。
(マツダオート三輪ポンプ車/高松市消防団)

無線車とも呼ばれた司令車です。災害現場と司令室(本部)とを無線交信により結び、部隊運用を容易に行うことが出来ました。
(トヨペット消防司令車/東京消防庁)

いすゞのTXシリーズは、ポンプ車・梯子車を始め、ありとあらゆる特殊車としても使用されました。当時としてはめずらしい排煙車です。
(いすゞ排煙車/名古屋市消防局)

救援車と呼ばれて、災害活動は元より、故障消防車の牽引にも活用されました。当時は消防車も良く出場の際や災害現場で故障したようです。
(日野レッカー車/東京消防庁)

レッカー車ですが、後部ブームに隊員が一名乗車出来るので、空中作業車の役目も果たしていました。
(日野クレーン車/東京消防庁)

大阪市では、当時救急車の事を救出車と呼んでいました。車体も消防車と同じく赤色で白文字で大きく「救出車」と書かれていました。
(ニッサン救出車/大阪市消防局)

この救急車は、各市町村でバラバラの救急車に対して、一つの目安を与えることとなった、東京消防庁が研究試作した標準救急車です。
(トヨペット救急車/東京消防庁)