FIRE RESCUE EMS > 消防情報 > 救急救命士誕生

教本ではわずか数行でしか紹介されていない日本の救急の歴史。
救命士誕生から15年。救命士の存在が“あたりまえ”になりつつある今だからこそ、その歴史を見直す必要があるのではないだろうか。
“手技”や“医療知識”のまえに、“救急隊員”として覚えていてほしい苦渋の過去と実際─
日本における救急救命士制度の立役者、元東京消防庁救急担当主幹(昭和60年〜64年当時)
武井勝徳(たけいまさのり)氏に話をうかがった。

遅れた日本の救急現場の現状を雑誌に投稿した武井氏。予想以上の反響の一方で、東京消防庁は騒然となっていた。掲載されてからほどなく、武井氏に一本の電話が入った。相手は東京消防庁のトップ、中條永吉総監。覚悟を決めて総監室に入った武井氏に、中條総監はこう言った。
 「武井君は勇気があるな」
あっけに取られる武井氏。中條総監の妻がたまたま武井氏の記事を読み、「あなたの部下には度胸がある人がいますね」と言われたのだという。
主婦をターゲットにした武井氏の作戦が、思わぬ形で実を結んだ。中條総監は、続けて言った。
 「救急を変えなければならないね─」
中條総監自身も司令補時代に四谷消防署で救急隊長を勤めていた。目の前の命を救えない辛さを身をもって知っていたのだ。

東京消防庁の総力を上げて、救急隊の医療行為を勝ち取る─。世論の後押しを得、救急隊員の処置拡大に向けた動きが大詰めに入ろうとしていた。昭和63年、消防総監の諮問機関で学識経験者などで構成される「東京消防庁救急業務懇話会」に対して、「呼吸循環不全に陥った傷病者に対する救急処置はいかにあるべきか」について諮問が行われ、二年間に及ぶ検討の結果、救急隊員による高度な救命処置の必要性、必要な教育を経た後に速やかに実施すべき内容について答申を得た。あわせて、この答申を裏付けるデータとして、平成元年7月からの半年間、心肺停止状態の救急現場における不整脈の実態も調査された。

そして平成2年4月、懇話会の答申、収集したデータを手に、中條総監が記者会見に臨む。心肺停止患者の社会復帰率の低さ、在宅医療患者を搬送できない実態などを包み隠さず発表し、日本の救急隊の現状に目を向けるように訴えた。マスコミはこぞって特集報道を行う。新聞各社もこの問題を大々的に取り上げていた。「当初、ある大手新聞社の大阪支局が東京本社に“東京で救急に動きがあるから調べてくれ”と依頼した。しかし本社では(東京消防庁の取り組みを)まだ把握していなかったらしく、慌てて取材に来たこともあった。記者会見以降は連日取材が殺到し、地方の議員の方が話しを聞きに来ることも。投稿は無駄ではなかったと確信できた」と、武井氏は当時を振り返る。また、とあるニュースキャスターの特集報道がさらなる後押しをしたのも事実だ。報道により世論が動き、そしていよいよ国を動かした。「病院前救急医療体制の抜本的な改革」が叫ばれるようになり、今までの遅れを取り戻すかのような異例のスピードで変革が起こった。プレホスピタルケアの強化策として平成3年4月23日に救急救命士法が制定され、同年8月5日に施行されたのである。救急隊員の応急処置範囲が初めて拡大し、医師法の壁から明光が射した瞬間だった。

重度傷病者に対する救急救命処置を任務とする救命士は、生命が危険な状態にある傷病者が病院などに搬送されるまでの間に、著しい容態悪化防止と生命の危険回避を目的に、医師の指示のもと医療器具を用いた「気道の確保」や「心拍の回復」といった処置を行うことが出来るようになった。海外、特に手本となったアメリカのパラメディック制度に比べれば、日本の救命士制度は限定的な資格と言わざるを得ない。しかし、今までできなかったことができるようになる。大いなる変革であり、救急隊が運び屋から脱却した歴史的な出来事だった。東京消防庁では救命士の養成のため、救急振興財団に消防職員を派遣するとともに、東京消防庁消防学校が救急救命士養成所として厚生省から認可を受け、平成3年9月2日に開講。積極的な救命士育成に努めた。そして第一回救急救命士国家試験に合格した「救急救命士」の乗車する高度処置救急隊74隊が、平成4年7月1日から運用開始となる。さらに平成5年12月1日には東京消防庁すべての救急隊が、救急救命士の乗車する高度処置救急隊になった。

武井氏の、そして救急隊員たちの悲願がようやく叶った。しかし、この時すでに武井氏は救急から離れ、定期人事異動により第六消防方面本部長に就いていた。「やり残したことは山ほどあった。しかし、同じ意志を受け継いでくれる部下達がいた─」(武井氏)

武井氏、そして共に救命士誕生へ向け走り続けた部下たち。彼ら多くの人々の情熱が、日本の救急現場の新たな一歩を踏み出させたのである。近年では除細動や気管挿管、薬剤投与が解禁されるなど、徐々にではあるが着実に消防救急は前進を続けている。救命士の存在が“あたりまえ”になりつつある今だからこそ、改めて記憶にとどめてほしい消防救急の歴史。名もなき一人の消防人の戦いにより始まったといえる救命士という制度。そして、忘れてしまいがちな原点、苦渋に満ちた“過去”を─。

※この記事は筆者の取材に加え、元東京消防庁救急担当主幹・武井勝徳氏のインタビューをもとに構成しております。
Written in 2007